市民体育大会 | |
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市民体育大会の歴史は同時に香西体育協会の歴史でもあります。
高松市に合併する以前の「香川郡香西町」だった昭和26年学校と各種団体が集まり、学校の運動会に大人が参加することの打合せが行われました。協議の結果、学校側の提案で春の運動会は地域の大人が計画から実施まで責任を持ち、秋の運動会は学校が責任を持ち実施する事が決められました。 その春の運動会をお世話する団体として「香西体育協会」が設立されました。 翌年昭和27年5月3日に香西体育協会主催の運動会が開催されました。 それから現在まで大会名は「香西地区市民体育大会」として変わらず開催されています。 高松市内の地区・校区のコミュニティ協議会や地区体育協会主催で開催されている運動会で「市民体育大会」をうたっているのは香西地区だけです。 市民体育大会が始まった頃は自治区を6つの大地区に分けて競技していましたが世帯数の増加に伴い昭和59年に8地区、60年から現在の12地区に分けて競技されるようになりました。 平成12年から小学校側の提案・協議によって秋の学校主催の運動会を取り止め、春の運動会を体育協会と小学校の共同開催となることが決まり、現在まで続いています。 引用) ※2014年の画像です。 |
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