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香西の歴史・お墓・お堂・お地蔵さん

護国精霊之墓
香西軍人墓地に建つ香西町出身戦没者の慰霊塔。寄せ墓。墓碑銘は高野山大僧正和田性海師の筆になる。碑文(慰霊文)はない。
昭和26年(1951)5月15日、萬徳寺境内に建立され、県内の戦没者慰霊塔のさきがけとなった。墓碑建設資金に公費を充てることが許されず、建設資金19万5千3百余円のうち、15万円は香西町遺族会が軍人会館を香西町に売却した代金で支出、4万5千余円は町出身の帰還者有志433名の寄付金であった。(「新香西史」)
*戦前、戦中の戦没者慰霊塔が忠魂碑、忠霊塔などと刻まれていたのに対し、香西町軍人墓地の慰霊塔は護国精霊之墓と刻まれ、忠魂、忠霊という語を用いていない初めての慰霊塔。また、この後建てられる県内各地の慰霊碑にある慰霊文も、この慰霊塔には記されていない。
*当初は香西町出身の第2次大戦戦没者の慰霊塔、寄せ墓として建設が計画されたが、台座には西南戦争から第2次大戦までの香西町出身の戦没者209名の名が刻まれている。
*建立時、香西町内の全ての寺院から住職が集まり、宗派を越えて開眼供養式典を行った。慰霊塔建立を機に慰霊塔周辺の墓石を整え、香西町軍人墓地とした。
*萬徳寺本堂には香北四地区(香西・鬼無・下笠居・弦打)の戦没者供養のための千体平和観音像(新田藤太郎作)が安置されている。
は「従軍者石板」として掲げてある)、「満州上海事変凱旋記念碑」があるが、いずれも従軍記念碑。宇佐八幡宮にある「香西神社」は、旧忠魂社であり、昭和55年(1970)の改修に際して祭神に自治功労者を加えたことなどからも戦没者慰霊塔とは性格を異にする。
*香西町内にある戦没者慰霊碑(慰霊塔)は、この「護国聖霊之墓」のみ。宇佐八幡宮に「日露戦没従軍記念碑」、「大正三年乃至(ないし)九年従軍者」の石板(本事典では「従軍者石板」として掲げてある)、「満州事変凱旋記念碑」があるが、いずれも従軍記念碑。宇佐神社にある「香西神社」は、旧忠魂社であり、昭和55年(1970)の改修に際して祭神に自治功労者を加えたことなどからも戦没者慰霊塔とは性格を異にする。
引用) 立山信浩著 「笠居郷探訪」288〜289ページ
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(2015年2月撮影)
萬徳寺境内に建立されています
「萬徳寺境内に建立されています」
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