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香西の歴史・神社・仏閣

ヘッツヒ神社
 竈(ヘッツイ)神社
 宇佐八幡宮の境内末社。藤尾山(みやま)の東裾にあり、竈の神を祀る小祠。現在は社殿はなく、周辺から集められた多数の五輪塔を祀っている。
 一説によれば、この神社は、かつては松田左近将監元親の木像を祀っており、松田氏の墓であったという。松田氏は1335年(建武2)に相模国松田荘より備前に入り守護職をつとめた名門。備前金川城主として十五万石の大名であった。
 1568年(永禄11)城主松田元賢が宇喜多直家に奇襲され落城。その後、戦国時代に尼子氏に追われ、関ヶ原の戦いで西軍に加わり敗れた後、しばらく直島に滞在した。1602年(慶長7)生駒一正を頼って香西浦に逃れ、姓を山城と改めて香西、植松両氏の世話を受けて堀の内(天神)に二代にわたって住み、その後藩の命により詫間の塩田開発従事。
 この間、松田氏祖先の墓を藤尾山東麓に建てようとしたが、世間をはばかる境遇であったこと、藤尾八幡宮の神域に墓を建てることのためらいなどから、表向きは竈(ヘッツイ)ノ神として、敬う形にしたという。
 その後、祭神松田左近将監元親は境内末社の白峯神社に合祀され、竈神社の跡地には松田氏一族によって顕彰碑が建てられている。
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(2015年2月撮影)

(2015年2月撮影)

(2015年2月撮影)
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