香西の歴史・歴史ある場所
香西のむきむき | |
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香西の町の家並みと通りが一定方向に統一されていないことの表現。香西資村以後の香西氏歴代城主が、香西を海からの外敵に備える開城都市として構築して、佐料本城や宇佐神社(藤尾城)に至る一帯は見通しの効きにくい食い違いや湾曲のある通り、袋小路、入り組んだ掘り割り、抜け道などで複雑に構成された。また、長い塀を巡らせた神社仏閣が多いことも戦力的な意味を持っていた。その結果、家並みはあっち向きこっち向き。今でも足並みのそろわないことを、「香西のムキムキ」と冷やかす。
ムキムキの町並みは、港から藤尾城に迫る地域に入念に作られたために、中塚や釣の一帯には今もその一部が残っている。 *高松藩主松平頼重が、香西寺再建と国清寺創建に際して、それぞれの寺の山門からムキムキの町並みを貫く直線路を造らせ、門前町のたたずまいを創り上げたときも、港に近い地域のムキムキの家並みは残された。 *自動車交通に移った昭和初期以後は、県道や町道の縦貫、拡幅によりムキムキの町並みは次第に姿を消している。 ムキムキの街並みの面影が残る、中塚・釣の街並みです 引用) ※立山信浩著 「笠居郷探訪」679〜680ページ |
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