香西地区コミュニティの日々活動を写真や動画でご紹介
香西地区の伝統ある建物や場所、行事活動をしている団体をご紹介
香西地区の歴史や昔話の紹介とふるさとカルタやその中に出てくる人名、地名を紹介。

伝統ある建物や場所・歴史ある場所

芝山城跡
芝山神社の所が南の丸、北に一段下がって本丸、その北に北の丸と続いて今は掻き上げ土手の一部が残っている。
天正十一年春、小西行長の軍船来襲、守っていた渡辺市之丞、三之丞が追い返しました。

芝山城は、香西氏3代資茂が、寛元年間(1243〜47)に瀬戸内海諸島の警備のために出城を構えたのに始まる。以後、香西氏の制海権に関係する番城(海城の性格を帯びる)として、香西氏の家臣で直島に本拠を構えていた渡辺氏が守った。
天正10年(1582)、長宗我部元親による讃岐侵攻が開始され、香西軍は藤尾城周辺で最後の決戦を構えた。そして、激戦5日間、いよいよ落城かとみられた時、香川信景の斡旋により和議が成立し、香西氏は長宗我部元親の配下となった。
天正11年(1583)には、小西行長が軍船2隻に100人ほどの軍兵を載せてやってきて「主人秀吉の使者として推参した」との通告に対して、守将渡辺市之丞は「今、四国は長宗我部を大将にしている。話を承る筋はない」と大音声し、城内から大砲を打ちかけて追い払ったという話が伝えられている。
しかし、天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐に敗れ、香西氏18代佳清は野に下り、芝山城も廃城となった。
引用) ※ウォークラリー説明文
※日本城郭大系15ほか
※お地蔵さんマークの位置、もしくは周辺です.※[+]クリックで拡大、[−]クリックで広域を表示します.
※画像クリックで拡大します.

(2014年12月撮影)

(2014年12月撮影)

(2014年12月撮影)
海から見た芝山城跡 山田さま所有資料より
「海から見た芝山城跡 山田さま所有資料より」
(昭和30年頃撮影)
←伝統ある建物や場所・歴史ある場所に戻る