香西地区コミュニティの日々活動を写真や動画でご紹介
香西地区の伝統ある建物や場所、行事活動をしている団体をご紹介
香西地区の歴史や昔話の紹介とふるさとカルタやその中に出てくる人名、地名を紹介。

伝統ある建物や場所・歴史ある場所

西打、大井手、うら新開
この道路はかつて車1台がようやく通れる道幅だった。現在の広い道路に変わったのは1997年JR貨物ヤード建設に伴う道路の拡幅工事によるものだ。遺跡は道路と重なり長い距離で確認された。田んぼを1m位掘り下げた場所に、条理地割跡や粘土を採取した痕跡があった。古代〜中世前半にかけて鍋などの土器を製作する集団の存在が想像でき、弥生人が稲作の合間に粘土を取り素焼きにし、鍋で煮炊きしていた生活が偲ばれる。そしてさらに掘り進めると、約2万年前のナイフ形の石器群が遺跡の南側で多数確認された。これらは後期旧石器時代に属しており瀬戸内技法と呼ばれる。五色台においてはサヌカイトが多く産出し当地周辺にも旧石器時代の人々の活動があったのでは、と益々ロマンが広がってくる。見慣れた風景の下には、はるか昔からの営みの続きが今日の私たちの暮らしにつながっている。未来によい環境を残すことの大切さを遺跡から学ぶことができた。
この道路は1998年に完成した。広く取られた歩道は通勤通学路として今も活躍している。
 道路に沿って街路樹が並び、商業看板も無い美しい景観である。行政による定期的な、剪定や清掃は行われているが、道路沿いの家の方々が歩道を掃いたり、草抜きをして頂いているおかげで今の美観が保たれている。 昨今の健康志向ブームで、広い歩道は安全で安心感もあり、多くの人たちが朝夕、ウォ―キングを楽しんでいる姿がよく見受けられる。
 作山南地区は、名所旧跡と言われるものが他の地域に比べて少ない地区である。それだからこそ、自主的に道沿いの美化活動をしてくれる地域の方々をはじめ、頑張っている人たちを、人的財産としたいものだ。そして、今あるこの道と美しい景観を、人と人とがふれあえる場所として普段の生活の中で、これからの未来に残していきたいと思う。
現在のJR貨物ヤードは約17年前に本津川西に建設され、桃太郎駅と呼ばれてコンテナの中継基地として忙しそうだ。
ところで、この駅の地下には本津川と勝賀山を結ぶ川がひっそりと流れているのをご存じだろうか?今では名もない小さな用水路だが約800年前には荷物を積んだ船が行き来していたそうである。舟が入るから「舟入川」と呼ばれていたのであろう。
 この時代は香西氏の始祖、新居資村が「承久の乱」で歴史の表舞台に立とうとしていた頃である。勝賀山東麓の佐料に居館を、その山上に勝賀城を築いたのもこの頃である。
 舟入川は本津川河口を遡り、佐料の館付近を通り、勝賀山東麓に至っている。この水路を利用して、米や武器が行き来していたのだろうか。この川を利用して人々が交流し、産業の振興や文化の隆盛があったことを思うと「笠居郷の発展は舟入川より始まると言えり!」とまあ、少し大げさになってしまった。
香西本町中央通りを南に進むと作山南地区と鬼無町との境界辺りの道路が小高くなっている。「横土手」である。JR貨物ターミナルまで道が伸び、西にはフルーツの里があり、県道33号線に接している。この道路は、かつて舟が往来できる位の川が流れ「舟入川」といい、砂鉄も運搬していたとする郷土史家もいて興味深い。さらに、この横土手を南北に横切る水路もあり、「オオイデ」といった。本津川から取水し勝賀中学校横を通り、愛染川に至る農業用水路として、明治期に愛染富三郎氏が横土手と併せて築造したものである。
 横土手の築造により被水(冠水)問題は解消され、オオイデの整備により給水問題は解決して、香西を代表する西打水田域が完成したのである。
 今や、舟入川もオオイデも所々暗渠になり又、横土手も堤の遺構のみであるが、いろいろ想像をめぐらせて歩くのも楽しいものだ。
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西内遺跡-香西南西打遺跡
「西内遺跡-香西南西打遺跡」
西内遺跡-香西南西打遺跡
「西内遺跡-香西南西打遺跡」
西内遺跡-香西南西打遺跡
「西内遺跡-香西南西打遺跡」
西内遺跡-香西南西打遺跡
「西内遺跡-香西南西打遺跡」
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